院長ご挨拶
宝塚市寿町に開業をして早や12年が過ぎました。ここまでやってこられましたのは、当院に通ってくださる患者様は勿論、スタッフの皆様や宝塚医師会のご協力あってこそのことと感謝しております。
新型コロナウイルス蔓延の混乱が落ち着き、診療も平常に近いものになりました。しかし今回の教訓から、感染症に対する注意、警戒は怠らずに、今しばらく発熱外来の対応は続けてまいります。
最近は、医師の処方する薬の一部を薬局でも買える保健薬の一般薬化(OTC化)が進んでまいりました。症状の軽い風邪等ならば薬局で薬を買って治してもらう世の中の流れです。
そうであれば町の内科診療所は、より専門性の求められる慢性疾患やご高齢の方の医療の担い手になることを促されていると受け止め、介護にも関わる一般内科診療に力を入れるとともに、当院の特徴でありますリウマチ・膠原病、漢方の気軽な窓口診療所なれますよう今後も努めて参りたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
院長経歴
【略歴】
千葉県出身
東京大学 薬学部卒業
製薬会社にて研究開発部門勤務
神戸大学医学部入学・卒業
大阪府済生会中津病院にて研修、
神戸大学付属病院、神戸百年記念病院、宝塚市立病院勤務を経て
平成25年12月なみき内科開院
【資格】
医師、薬剤師
医学博士
薬学博士
日本内科学会認定内科医
日本内科学会総合内科専門医
元内科指導医(宝塚市立病院)
日本リウマチ学会リウマチ専門医
日本糖尿病協会登録医
【所属学会等】
日本内科学会
日本リウマチ学会
日本糖尿病学会会員
日本糖尿病協会
【プロフィール】
千葉県出身です。古い家並の残る、お祭りの盛んな土地で生まれ育ちました。
田舎町ですので、子供のころは川で釣りをしたりカエルを追いかけたり、昔はどこにでもいた
子供の1人でした。東京から同い年の従弟が親戚の家に遊びに来ると、頼まれてザリガニをたくさん
捕まえて持って行ったものです。生き物好きで、猫,鳩,亀,ハツカネズミなどを飼っていました。
外で遊ぶのが大好き、習い事は嫌いで、字が下手なのを気にした母が習字を習わそうとし、
泣いて嫌がったのを覚えています(そのせいか今でも大変な悪字です)。
トウダイと言えば犬吠崎の灯台と思っており、東京大学のことだと知ったのが中学2年の時でした。
こんな私ですが、中学校時代の先生の勧めもあり、保健関係の道に進もうと漠然とは決めておりました。
しかし大学受験はうまく行かずに浪人、この時だけは必死に勉強しましたが、
血気胸(肺の表面が破れて空気が抜け、近くの血管が切れて胸腔に血液が溜まる病気)を 起こして
入院してしまうという波乱万丈でした。
何とか東京大学(理科U類)に入学後は薬学部に進学、医学も薬学も同じ保険関連の仕事だろう、と。
製薬会社に就職した後は、新薬を作り出そうと研究・開発部門で必死に頑張りました。
しかし、新薬を探すというのは、河原の膨大な砂利の中から一粒のダイヤモンドを拾い出すようなのもので、とても難しかったです。
いくつかのテーマに関わらせてもらいましたが日の目を見ることはありませんでした。
転機になったのは、阪神大震災です。
当地で経験しました。
この時自宅近くの道路では、ガス管が破損して重大事故にもなりそうな状況の中、家族を置いて
ただひたすら会社に行こうとする自分に気が付きました。
夢から醒めたような心地でした。
何のために仕事をするのか、このままでは死ぬ時にきっと後悔するという思いが強くなり、
薬の研究を通して益々強く関心を持った医学の道に進むことを決意しました。
大勢の人のためになる新薬研究の道を変えて、家族の近くで一人一人の患者さんのためになれる医学の道に進もう、と。会社勤めを続けながら神戸大学医学部を受験、運よく入学することができました。
宝塚と御縁ができたのは就職の時からで、初めての職場が小林にある研究所でした。
山のない地域に育った私は、毎朝甲山を見る度に旅行に来た気分になっていたものです。
独身寮は阪急売布神社駅そば、今度の開業地にもとても近いところでした。これも不思議な御縁ですね。
それ以来長きにわたって宝塚を自分のホームタウンとしておりまして、
私の人生で一番長く生活した街となっています。
この地で終の職場を得られたことに幸せを感じています。
これからは、街の皆様のお役にたち、生活に溶け込んで、皆様のいつもの風景の一つの要素になれるよう頑張ってまいります。
加藤 由紀子医師 経歴
【略歴】
大阪市出身
大阪大学医学部医学科卒業
星ヶ丘厚生年金病院(現・地域医療機能推進機構星ヶ丘医療センター)で研修
大阪大学微生物病研究所 ウイルス免疫分野において博士号(医学)を取得
宝塚市立病院勤務
大阪大学医学部附属病院漢方医学科で研修
宝塚市立健康センター勤務を経て現在に至る。
【資格】
日本内科学会総合内科専門医
日本内科学会認定内科医
日本医師会認定産業医
【所属学会】
日本内科学会
日本東洋医学会
日本疫学会
日本循環器病予防学会
日本疲労学会
【プロフィール】
私は大阪市で生まれ、小学2年の時に売布小学校へ転校しました。以来、この地にずっと住み続けております。家族は、夫と2人の子どもたちです。
夫は関西出身ではありませんが、この地をとても気に入り、永住するつもりでいてくれております。関西弁も少しずつ上達してきているようです。
子どもは、上が女で下が男、いわゆる「一姫二太郎」です。娘は初め、未熟児で生まれましたが、今ではすっかり元気で、ちょっぴりやんちゃな女の子になりました。
弟ができて、しばらくは赤ちゃん返りする時期もありましたが、だんだんお姉ちゃんらしくなってきたと感じます。息子は、私にとっては毎日が驚きと新発見の連続です。
私自身は女きょうだいしかいないため、男の子とはどういうものか、母親になるまでよく知りませんでした。
まだよちよち歩きなのに、「なぜそんな危ない所にわざわざ登ろうとするの?」といつも不思議に思っています。でも、男の子というのはそういうものなのですね。
サッカーの試合を見せたわけでもないのに、おもちゃのサッカーボールをひたすら追おうとする姿を、「男の子がボールを追いかけたくなるのは、原始時代の狩猟生活のなごりなのかな」などと考えながら、興味深く見ている毎日です。
私が医師を志したのは、まだ小学生ぐらいの頃からです。私の父の実家は、九州の離島にあり、当時は無医村でした。時々、その家に遊びに行き、医師がいない不便さの話を聞いたりするうちに、「こういう地域で働くお医者さんになりたい」と幼心に感じました。その夢がかない、大阪大学医学部を卒業して医師になりました。
枚方市にある星ヶ丘厚生年金病院(現・地域医療機能推進機構星ヶ丘医療センター)で研修の後、大学院に戻り、大阪大学微生物病研究所というところで研究指導を受けました。
同研究所では、原因が未解明の疾患を分子レベルで診断する方法の開発に取り組みました。この際、共同研究先の大阪市立大学医学部附属病院で臨床にも携わりました。
博士(医学)の学位を取得した後は、宝塚市立病院血液免疫内科で勤務いたしました。こうした研究や臨床医としてのトレーニングを積む中で、私は徐々に漢方医学に関心を持つようになってまいりました。
それは、西洋医学のお薬で効果が見られない患者様において、時として、漢方薬が効果的であることを幾度か経験したからです。
そこで、大阪大学医学部漢方医学寄附講座に所属し、それこそ「漢方のいろは」から地道に学び始めました。平成24年に宝塚市立健康センターに奉職してからも、その学びを続けてまいりました。
漢方医学は奥が深く、学べば学ぶほど、その壮大で複雑な思想体系に圧倒される思いです。
まだまだ若輩者ではございますが、地域の皆様の健康と長寿にご奉仕できるよう、臨床医として、また漢方医として、自己研鑽を努めてまいる所存です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
