並木ドクターの雑記

 健康新聞に興味を持ってもらおうと書いてきた文章を皆さん意外に読んでくださっており、
ホームページにも載せては、と言っていただいてきました。
調子に乗って、以下これから掲載予定の文書もまとめて掲載します。
加藤ドクターの雑記はこちらをごらんください。

開業5年目のご挨拶

 1年1年があっという間に過ぎて行きます。ついこの間この地に開業したばかりのような気がしますが、早や5年目を迎えました。大病院の勤務医師と違い、大抵の患者さんの家まで歩いて行ける身近な診療ですので、日常生活の延長のような感覚で、仕事をさせて頂いております。
 当院は、皆様のかかりつけ医となれるよう、日常の医療的な相談を幅広く受けてまいりました。必要な方には、適切な専門医、専門病院の紹介をしております。また、当院に通って来られるのが難しいご高齢の患者様には、時間の許す範囲で往診対応をさせてもらっております。これらのことは、当院の理念であります
「日常の健康管理の水先案内人を目指す」
「地域の生活に溶け込んで安心の提供を行う」
を実践したものです。
  専門にしております加藤先生の漢方、私のリウマチ・膠原病科の診療は、地域の方々に時代にあった医療を提供するため、そして私たち医師のモチベーションとレベルを維持するため、続けさせていただいております。
  今年も一緒に働いてくださっているスタッフと共に、皆様に適切で身近な医療を提供できるよう頑張って参ります。
  どうぞよろしくお願い申し上げます。

        

一周年のご挨拶

 平成25年12月に開業以来1年余りが経ちました。

 お陰様で開院以来多くの患者様に来院いただき、お渡しした診察券は2400枚を越えております。患者様の中には、緊急を要する方、動けないため往診を求められる方、診断がつかずに不安な気持ちで来院される方など、私がこれまで経験してきた以上に幅広い医療を求められる方も多数いて、色々と勉強させて頂きました。

また診療を通じて地域の方々とも親しくお付き合いさせていただき、人と交流のある地域医療の魅力にも触れた1年間でした。

一方で更なる患者様へのご満足いただける対応など、クリニックの成長と2年目の歩みとしての課題も見えてきております。

今年はこれらの課題を克服しつつ、皆様の健康管理の水先案内人を一層務めさせていただけますようスタッフ一同頑張って参ります。

◆お知らせと今年の抱負◆


1.昨年11月まで毎月開かせていただき、多くの方に参加いただいた
  健康セミナーは、3〜4ヵ月に1回程度、季節ごとに開かせていただ
  こうと思います。できれば次回は2月に、花粉症かアレルギーをテーマに
  開催予定です。

2.多くの患者様が診療2年目に入ってくる今年からは、
  定期的な健診(特定健診、肺がん検診、大腸がん検診)や、その方にとって
  必要な検査(レントゲンや心電図、骨密度検査など)について、
  時期になりましたらお声掛けをさせて頂くようにいたします。
  定期的な検査は、健康管理の基本ですので皆様受けるようにしてくださいね。

3.医師を続けていくには勉強も大変重要です。
  普段から講演会などにはなるべく出席しておりますが、昨年はさすがに
  学会に出ていく余裕はありませんでした。学会に参加して、まとまった
  話を聞くことは、刺激にもなりますし世の中のレベルについて行く上で
  とても大切です。今年からいくつかの学会にはなるべく参加したく思っており、
  時々土曜日を休診させていただくことがあります。
  ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。

歴史好き

 子供のころから歴史好きでした。生まれ育った田舎には鹿島、香取神宮という古事記にも出てくる有名な神様を祀った社があり、そんな雰囲気に影響されたんでしょうかね。田舎に帰ると、香取神宮の境内裏手にある昔ながらの茶店(寒香亭)で団子を食べて寛ぐ時間が大好きです。
 最近は歴女なんて言葉ができて、歴史がちょっとしたブームみたいです。有名な神社仏閣や史跡を訪ねて歴史上の有名人の活躍に思いをはせる、当時の絢爛たる文化に心躍らせる…、私も好きです。読み物なら司馬遼太郎。でも人気がある「竜馬が行く」はあまり好みじゃなく、「飛ぶがごとく」って明治の西南戦争を題材にした作品が好きです。西郷さんを中心において、明治維新後という時代の雰囲気と人物像を何とか伝えようとしっかり取材をしたことが分かる作品だからかな。私の歴史好きは、どうやらこの時代の雰囲気を感じる楽しさ,興味深さ、のようです。
 「なみき内科」の近辺、売布、米谷、小浜地区も一見して古い歴史のある地域なのが分かります。有馬街道に沿って売布神社、清荒神があり、米谷1丁目交差点から小浜宿を通る道周辺には幾つもの祠、神社・仏閣が集まり昔から人の営みがあったところだなあって。中でも毫摂寺(漢字はこれで合ってますでしょうか?)小浜御坊の伽藍の立派さと、寺にしてはあまりにも堅牢な周囲の壁に目を引かれました。また、米谷1丁目交差点から小浜宿へ向かって100mほど歩いた左手に売布神社の鳥居がありますね。初めて見た時には何でここに鳥居が、と思いました。でも売布神社に行ってみますと今でも山を下る道がちゃんと残っていて、おそらくここにつながっていたんだろうと想像できます。売布神社は延喜式にも出てくる格式ある古い神社。おそらく千年の道なんじゃなかろうか、と。ここ数十年の間に電車が通り、高速道路が通って道の途中が寸断されて分かり難くなってしまったんでしょうね。開発が進むと、千年の長さから見るとほんの少し前の時代が、遠く断絶した歴史上の時代に思えてしまう例のような気がします。

タイへの研修旅行の思い出(その1)

 神戸大学時代5年生から6年生に上がる春休みに、神戸大学医学部国際交流センターのお世話で、タイ バンコクのマヒドン大学ラマチボディ大学病院へ5週間ほど研修旅行に行かせていただきました。会社員時代に2,3度アメリカへの出張は経験していましたが、東南アジアは初めての経験でした。
 病院では、希望してエイズ患者を専門に見ている感染症科に行かせていただき、毎日の臨床を一緒に見させていただきました。当時タイのエイズ患者数は100万人(その時点での日本の患者数は数千人)もおり、エイズの治療は国を挙げての事業となっていました。ちょうどそのころからエイズの抗ウイルス薬を複数組み合わせて使う強化療法が始まりだしており、初めて病棟で会った時はカリカリに痩せて年齢不詳に見えた20歳の女性が、この治療を受けてみるみる改善、研修終了時に外見上は普通の若い女性に戻っているのにびっくりしました。
 この病院も含めてバンコクには1000床規模の立派な大病院が多くあります。聞いた話では、現タイ国王の王妃は看護師出身で、福祉政策に力を入れる一環として立派な病院も多く作られた、とのことです。今もタイで続いている政治の混乱はその当時にも見られ、当時のタクシン首相が低所得者へのサービスとしてどんな医療でも一回30バーツ(100円ほど)で受けられるとしておりました。これに対する病院への財政的補助はなく、全く非現実的なことをしている、と病院関係者が憤っていたことを覚えています。
 タイの医学生の生活はと言いますと、皆さん真面目でよい若者たちばかりでした。授業の教科書は英語の教科書を用いており、そんな環境のためか皆さん英語は堪能でした。もっとも寮の片隅で拾ったコピーはタイ語で書かれた授業ノートで、おそらく優秀な子の授業ノートを写させてもらって皆勉強しているんだろうなあ、と(国は変わっても学生のやることは同じですよね)。
タイでは、医学部を卒業して医師免許を取ると、本人の意思と関係なく国の指示でタイ全土の地方病院へ赴任させられ、数年間地域医療を学びます。その後大学に一度戻ってから専門科の勉強をし、その後の進路はその人次第となっています。日本でも10年前から初期研修制度が導入され、医師免許を取ると2年間は各科を回って幅広い経験を積むこととなっていますが、タイの臨床教育はより徹底しているように思いました。更に大学に残って臨床や基礎研究の教官の道に進みたい人は、アメリカ留学経験が必須みたいです。私の行った感染症科の教官も皆留学経験を持った方たちでした。
タイの大学病院では、学生,通常の医師は白衣を着ますが、教官は白衣を着ません。更に助教授以上はネクタイを締めています。もっとも暑いのでネクタイをきちんと締める人は少なく、胸ポケットにネクタイを入れて自分が偉い先生であることを示しています。

タイへの研修旅行の思い出(その2 アフター5編)

 夜になると一緒に研修へ行った医学部同級生とバンコクの町へよく食事に出かけました。食事に行きたいなと思った時には、仲良くしてくれているタイの学生(やはり女性の方がよく知っている)に頼んで手ごろなレストランを紹介してもらい、地図を書いてもらいました。日本のように地図を頼ってバンコク市街を歩き回ることはせず、タクシーを拾って出かけます(地元の人でもそうします)。タクシーの運転手さんに英語は通じません。びっくりしたのは、みな地図を理解しないことです。ビルの名前や公園などランドマークとなる場所へのルートを知っており、それを頼りに目的地に連れて行ってくれます。バンコクの街を平面の地図として理解しているわけではなく、道のつながりで理解しているようでした。
 食事はタイ料理、中華料理がとてもおいしかったです。価格もとても安い。タイ料理の青唐辛子の辛さは相当でしたが、ココナッツベースのスープは今でも時々家で作ってもらって食べてます。中華はあっさりした広東風の店が多く、日本人の味覚によく合っていました。
 夜の市街地の道路には屋台がたくさん並びますが、果物の露店が目を引きました。ヤシの実(果汁)やマンゴスチンなどを盛んに売っていましたが、私のはまったのはドリアンです。その強く甘い芳香(エステルの香りですね)の虜になりました。2月頃からちょうど季節になるようです。ドリアンは果物の王様と言われますが、強烈なにおいのため地元の人でも好き嫌いがはっきり分かれます。ホテルなどでは、持ち込み禁止のところもあるようです。ドリアンの実は大変に大きいので、中の房を希望に合わせて幾つか買い求めて食べます。最初は恐る恐るほんの一かけらを食べただけでしたが、街に行く度に食べるようになり、終にはドリアンを買うために街へ出かけました。寮へ持ち帰って朝に食べたりもしてました。それほどに気に入ったドリアンでしたので、日本に帰ってから1-2度食べてみましたが、とても高価なうえにやはり現地の味とはずいぶん違いました。そのうちにまたタイへ旅行に出かけたときに地元のものを食べたいな、と思ってます。
 食べることばかり書いてしまいましたが、バンコクの別の大学病院へ派遣されていた同級生2人とも一緒にサイアムストリート(?)あたりを散策していました。この辺りは世界中の若い旅行者(バックパッカー)が集まる場所で、若い人で活気があります。また、暑いせいかタイではビール(シンガービール)以外のお酒を売る店が少ない気がしましたが、この界隈では普通に洋酒やカクテルを飲めました。路上に車を止めて店を開く気軽なカクテルバーもあって、楽しかったな。

タイへの修旅行の思い出(その3 ウィークエンド編)

 5週間もバンコクに滞在させていただいており、週末になると、あちこち出かけて参りました。
 よく出かけたのはウィークエンドマーケット(チャトチャック)です。本当に大きなマーケットで、狭い通りの両側に日用品、土産物、食糧から雑貨まであらゆる店がひしめいており、一回行ったくらいではどこを歩いたかさえ分からない混沌とした市場でした。タガメ(田んぼにいる昆虫です)の煮物なんてのも見つけましたね。目を引かれたのがお香と織物(タイシルク)で、つい買ってしまい後で困りました。
 お寺にも幾つも行ってまいりました。タイは仏教(南伝仏教)の盛んな国。研修をさせて頂いた病院の敷地内にも祠があり、毎日多くの方が花を手向けお香を備えて拝まれておりました。そんなタイ仏教の中心が、王室の寺であるワットプラケオです。ご本尊は巨大な宝石(メノウだったかな)を彫って作られた仏様で、拝観させていただくのに長蛇の列を並びました。大きな敷地に大理石を敷き詰めた大変立派な寺院でしたが、壁画がまた見事でした。題材はインドの古い物語(ラーマーヤナ)ですが、なんと猿の大将軍が主人公を助けて雲に乗って空まで飛ぶ大活躍をしておりました。何か思い出しませんか?そうです、孫悟空ですよね。ラーマーヤナは紀元2世紀ごろに成立したようで、孫悟空は中国の元の時代、日本でいうと鎌倉時代(14世紀ごろ)に書かれたものです。仏教の教えがインドから遠く中国にまで伝わるように、物語も人々に語り継がれて遠くまで伝搬したのでしょうかねえ。
 ちょっと変わった体験としては、バンコク郊外の動物園へ行ったときには、象に乗りトラと並んで記念撮影をしてまいりました。象の背中に固定された椅子に乗るんですが、馬のように地面から乗るのではなく、高い台に上ってそこから乗り移ります。象の背中はとても高く、斜面の細い道を通るときにはムチャ怖かったです。この時撮ってもらった写真は、今も私の机に飾ってあります。ご機嫌な顔をしてますね。
トラは、お腹がいっぱいなのかよく飼いならされているのか、尾を踏んでも怒りそうな感じはしませんでした。でもそこはやっぱり猛獣、寝そっべているトラの脇に並んだと きは怖かったです。もう一つ、2mもあろうかという大蛇を首に巻いて記念撮影をするという場所もありましたが、さすがにこれはちょっと。見ているだけで恐ろしかった。
 
 今思っても沢山の勉強もさせてもらい、また思い出もいっぱいのタイ研修でした。
時間ができたら、今度は家族と行きたいですね。

奈良散策(その1)

 奈良に初めて行ったのは高校時代の修学旅行でした。何せ千葉県の田舎高校でしたので、修学旅行と言えば奈良京都が定番でしたね。型通りに法隆寺・薬師寺・唐招提寺そして東大寺を見学いたしました。薬師寺の当時の管長は高田好胤さんで、説明をしてくださったお坊さんの話の面白かったことを覚えております。
 大学生になり、兄が京都にいたこともあって奈良へもしばしば足を延ばしました。当時は入江泰吉の写真集に魅せられ、奈良大和路の雰囲気を求めて参りました。気楽な一人旅が好きで、民宿やお寺、ユースホステルに2-3日泊めてもらい、周辺をぶらぶら散策するような旅行をしてました。
 明日香村の民宿に泊めてもらった時に、世話をしてくださったのはその家のお祖母さんでした。食事のとき、「いただきます」「ごちそうさまでした」と言いますと、「あんじょうよろし」と答えてくれた声が今でも耳に残っています。鳥のすきやきを食べさせてもらったなあ。皆さんもよく行く石舞台やら法起寺・法輪寺など塔のある寺、飛鳥寺やら川原寺跡などを巡ってもまだ時間があったので、大和三山の畝傍山に登ったりもしました。当時の明日香村って街灯がほとんどなく、民宿に帰り着くころには辺りは全くの闇、ちょいと怖かったです。
 ちょうどこのころ、明日香村にある山田寺廃寺跡の発掘調査で、飛鳥時代の寺の回廊がそのままの形で出土したと、話題になっておりました。この回廊の構造は今の法隆寺の回廊の構造とほぼ一致している、と新聞に書かれていました。そういう目で法隆寺を見てみますと、本来遺跡として土中から朽ち果てた構造物となっている方が普通の寺が、現存しそこに建ち続けている、将に奇跡の建造物のように思え、感動したのを覚えています。因みに法隆寺に修学旅行で行った時から、宝物殿にあります百済観音像という古い仏様に不思議な異国情緒を感じております。現在の宝物館ではなく、元の薄暗い仏殿の中で見たら、さぞ神秘的に見えただろうなあ、と。
 ある時は、もう大晦日も近いころに、春日大社の東の方面(高畑)にある新薬師寺に泊めてもらったことがあります。それほど大きなお寺ではありませんが、市街地の奥まったところにひっそりと建ち、本堂と中の仏様は有名です。古い建物の書院(?)に布団を引いて泊めてもらいました。時期が時期なので、泊まる客は私以外にもう一人40歳くらいのおっさん(当時の私にはそう見えました)だけで、深々と寒い部屋に火鉢を囲んで長い夜をぼそぼそ話しておりました。私が東大の学生だと知ると、そのおっさんも東大の経済学部出身で、元は大手銀行に勤めていたのだと話してくれました。しかし銀行の仕事に興味が持てず、自分の時間が欲しかったことから銀行を辞め、横浜市役所に再就職し、趣味の旅行を楽しみながら生活している、なんてことを話してくれました。
ずっと先に、自分が会社員を辞めて別の道に進むなんて、当時は想像することもなかったですね。

奈良散策(その2)

 前回は学生時代に行った奈良旅行の思い出を書かせていただきました。大学を卒業し、特に考えもなしに関西の製薬会社に就職した私は、宝塚あるいは大阪の勤務地(研究所)で働き、数年後には結婚をしました。奈良へは行くこともなくなっておりましたが、嫁さんが学生時代を奈良で過ごした縁から再び訪問するようになりました。長男も誕生して、自然に親子でのんびりと奈良公園周辺を歩くことが多くなりました。そのころから今日まで、奈良に行けばメインに訪れる場所は決まっており、以下そんなスポットを幾つか紹介してみます。
 子供を連れて最初に訪れるのは、鹿のいる奈良公園です。生き物好きの長男に鹿せんべいを与えると、鹿にそれを見せびらかせながら追いかけてもらって喜んでおりました。子供に散々頭を下げて、やっと僅かなせんべいをもらう鹿には気の毒でしたが、格好の時間つぶしでした。公園内を春日大社方面に歩き、若宮まで行ってから引き返して春日大社に参拝します。ここは元々古代に権勢をふるった藤原氏の氏神なのですが、祭神は4柱の神が招かれており、うち2柱の神様は私の地元 香取、鹿島の神が祀られています。遠い古代に関東の神様を中央貴族が氏神として奈良に祀った経緯には興味がありますね。このお宮の回廊の釣り灯篭はいつ眺めてもリズムがあってしばし見入ってしまいます。先日行ったときには藤の花が盛りでした。一度夏の万灯籠に行ったことがありますが、幻想的な風景でしたね。
 春日大社から公園に戻るようにして北へ向かうと若草山のふもとに出ます。この辺は東大寺の門前などと違って、休日に行っても人影はまばらでのんびりできます。墨を扱う「古梅園」等歴史の古そうな商店の前を通って手向山八幡宮、三月堂二月堂と廻り、東大寺の南大門へと歩きます。気が向いたら戒壇院のあたりにも参ります。ここを歩く度に、季節のいい早朝にこの辺を散策したら気持ちいいだろうな、と思います。何時かそうしようと思いつつ、もう20年以上経ってしまいました。
 食事には、志津香(しづか)という釜めし屋さんによく参ります。今は登大路氷室神社そばにありますが、この店が東向通りの古びた建物の2階にあったころから行っておりました。釜めしの底についたおこげを食べようと何時も苦労していましたが、最近行ったら、おこげの上手なはがし方のマニュアルが置かれていました。考えていることは、皆同じなんですね。お茶が飲みたくなって行くのは、菊水楼の裏にある菊水レストランです。今はカジュアルなイタリアンに模様替えしてますね。ここは池を挟んで奈良ホテルを一望でき、四季折々の雰囲気があって好きな場所です。
 ここまで来ると足は奈良町の方へ向かいます。と言って街をくまなく歩いたことはなく、大抵酒蔵の今西酒造にトラップされてしまいます。私の知りだしたころから、地酒の魅力を伝えようと一所懸命に取り組んできた造り酒屋さんです。ずいぶん昔から酒蔵見学会の案内なんてのを頂いてました。「春鹿」が一般的な銘柄かと思いますが、私は「白滴」の香りが好きです。先日行ったときには、利き酒をしていて4種類ほどの酒を飲ませていもらいました。どれも違った味わいで楽しかったです。この今西家には室町時代から伝わる国宝の書院があります。なんでも明治のころに買い取ったものだとか。昔申し込んで、書院で食事を頂かせてもらいました。正座は苦手なのですが、重厚な雰囲気の中で昼食を頂いたことが思い出になっています。
なお奈良漬で有名な今西本店は、こことご先祖様が一緒とのことです。昔この今西本店を訪れたときに、店のお祖母ちゃんが色々奈良漬の話を詳しく聞かせてくれました。やはり発酵食品なので、蔵に住み着いた麹菌がとても大切なんだとか。懐かしい思い出です。

京都の思い出

 奈良について書かせていただいたので、京都についても少し書かせていただきます。
 以前にも書きましたが、東京で学生をしていたころ、兄が京都で学生をしていたので、そこを足場に京都を散策して回りました。しかし…、一番行ったのはパチンコ屋かもしれないなあ。兄の下宿は三条京阪近くの便利な場所にあり、夜になると食事も兼ねて河原町・新京極あたりへぶらぶらと出て行って、時間つぶしにパチンコ屋へ行っておりました。今でも幾つかの店は残っていますが、パチンコそのものが当時とずいぶん違ってしまいましたよね。
 そんなことはともかく、京都に行って散策の1日目は清水寺に向かい、そこから東山に沿って北に歩くのが恒例になっておりました。途中の有名な寺社仏閣には気が向いたら拝観に行き、哲学の径を北に歩いて昼過ぎごろには銀閣寺に到着していました。私は、銀閣寺の門をくぐって続く砂利道と両側の高い垣(銀閣寺垣)の清々とした雰囲気がとても好きです。何かお寺の抹香くささというよりも神社の清浄感に通じるような心地よさを感じます。この銀閣寺を拝観すると、後は北に向かって白河詩仙堂に向かってみたり、京大あたりの喫茶店に行ってみたり、鴨川(今は鳶とカラスが多いですね)方面に向かってみたりでした。2日目からは、行きたい方面を決めると、兄に京阪バスの乗り場番号を教えてもらい、三条京阪からそれぞれの目的地に向かいました。高雄の神護寺方面に行くのが好きだったかな。そんな中で経験した一幕を。
 初冬の頃だったと思います。山科の醍醐寺に参りました。そこを拝観した後、小野小町の随身院に向かうような計画で出かけたと思います。醍醐寺は修験道の聖地、下醍醐で三宝院の庭を眺め藤戸石の由来を読んだ後、上醍醐へ向かいました。結構な上り坂・階段だったと思います。昔の太閤秀吉の花見を思いながらやっとこさ登り切り、さて上醍醐の伽藍を拝見しに行こうかと思った時、ふとごく小さな道案内が目に留まりました。それは東海自然歩道の道案内で指し示す方向に「琵琶湖」と書いてありました。地理感覚のない私のこと、近くに展望台でもあるのかと思い、せっかくこれだけ登ったのだから琵琶湖も眺めていこうと、つい脇道にそれてしまいました。
小道をどんどん先へ進みましたが、展望台などありはしません。しかしところどころに「琵琶湖」と書かれた道しるべは立っており、午前中でまだ時間もあるしと、もう少しもう少しと歩いていくうちに山は下り坂になっていきました。さすがにこれはおかしいと思いましたが、引き返すにはあまりにも遠くまで歩いてしまったこともあり、多少意地になって「琵琶湖」を目指すことにしました。しかしその時でも、琵琶湖までそんなに遠いとは全く思っておりませんでした。

京都の思い出(続)

 それから延々山(峠?)を3つ越えております。別にハイキングに行くつもりじゃなかったので、ごく普通の靴を履き、シャッツにブレザーの格好で山道を必死に歩きました。「琵琶湖」の道標も時々見失い、迷い迷い、時々車道を横切り、山を越えていきました。
人とはほとんど会うことはなく、町や村を通ることもなかったので昼はとっくに過ぎても飲まず食わずでした。やっと山の中の車道沿いによろず屋的な店を見つけ、パンとフルーツ牛乳にありつけたのが2時か3時くらいだったかと思います。店の看板に「西湖堂のパン」て書いてあったのをまだ覚えています。関東人の私には「ヤマザキのパン」なもので、珍しかったんでしょうね。
 一休みして、また歩き出しました。時間も時間になってきたので、このまま何時になったら街に出られるか、不安な思いになっていました。3つ目の山はきつく、汗をかきかき登りました。やっと頂上らしきところにつくと、真新しく出来たばかりの神社がありました。あまりにも暑かったので、手水場で汗だらけの顔を洗ってしまいました。すみませんでした…。顔をぬぐって辺りを見晴らしたとき、やっと眼下に琵琶湖を見ることができました。しかも薄雲が広がった中、雲が少し切れてスポットライトのように日光が湖面に射し込んでおり、素晴らしい景色を名前も知らぬ山の上からただ一人で眺め入ることができました。
山を下れば大津の街です。歩いていくと京阪電車の石山駅があり、ここで電車に乗れば京都の三条京阪駅に返れる算段は付きました。と同時にまたしても、今度は「石山寺」の案内表示が目に留まりました。当時は本当に元気だったなあ。散々歩いた後だったのに、せっかく初めて大津まで来たのだから紫式部ゆかりと言われる石山寺を覗いて行こう、という気になってしまいました。疲れた足を引きずりながらやっとこさ石山寺の山門にたどり着いたその時、門はギギギギっと音を立てながら目の前で内から閉まってしまいました。ちょうど5時だったんですね。高校生の頃だったか、夏目漱石の「門」という小説を読んだことがありました。小説の最後のころの一説に主人公は閉まってしまった寺の門前に立たされ、前に進む(仏門に入る)こともできずにただ佇むだけであった、という場面が描かれていたように思います。そんな一説を思い出しながら、佇んでばかりもいられないので、引き返して京阪電車に乗り、無事京都に戻りました。電車に乗ると大津と京都って案外近いですね。私は何処をどう歩いたんでしょう。帰り着いてみると、靴は破れてしまっていました。
 若いころ、自分が関東人だったころの思い出話でした。

なみき内科内科・リウマチ科・糖尿病内科

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